企業のTikTok参入が当たり前になった今、多くの担当者様が「とにかく再生数を回さなければならない」という強迫観念に駆られています。しかし、あえて断言させてください。その「再生数至上主義」こそが、企業のブランドを毀損し、本来得られるはずだった利益を遠ざけている最大の要因かもしれません。
私たち動画クリエイターやマーケターの間でも、実は「数字の質」についての議論が活発化しています。一般的に運用代行会社は「100万回再生の実績」を掲げますが、それが「売上」や「採用」につながったかどうかは別の話です。
今回は、B2B企業や高単価商材を扱う企業、あるいは採用広報において、なぜ「バズ」が不要なのか。そして、再生数の代わりに追うべき「信頼残高(Trust Assets)」とは何かについて、マーケティングと認知心理学の観点から深く掘り下げていきます。
なぜ企業のTikTokは「面白い」だけでは失敗するのか
TikTokを開けば、流行の音楽に合わせて踊る社員や、面白おかしい寸劇を披露する社長の動画が流れてきます。確かに、それらは数十万、数百万回再生され、コメント欄も賑わっているように見えます。これを見て「うちもあのような動画を作らなければ」と焦る担当者様も多いでしょう。
しかし、ここで冷静に立ち止まって考える必要があります。その動画を見ている視聴者は、果たして貴社の顧客になり得る人たちでしょうか。
エンタメ消費と購買行動の決定的な乖離
人間がコンテンツを消費する際の心理状態は、大きく分けて2つのモードが存在します。一つは「エンタメ消費モード」、もう一つは「情報収集モード(あるいは課題解決モード)」です。
ダンス動画やトレンドのネタ動画を見ている時の視聴者は、完全に「エンタメ消費モード」にあります。彼らはドーパミン的な快楽、つまり「笑い」や「驚き」「癒やし」を求めています。この状態にある脳は、深い思考を停止し、受動的に情報を流し見しています。
一方で、B2Bのサービス導入や、人生を左右する就職・転職、あるいは高額な商品の購入を検討している時の脳は「情報収集モード」です。ここでは、論理性、信頼性、そして自分にとってのメリットを能動的に判断しようとしています。
「面白い」動画で集めたフォロワーは、あくまでエンタメを求めている層です。彼らに向かって、急に自社の真面目なサービス紹介や求人募集を投げかけたとしても、反応しないどころか「期待していたコンテンツではない」として離脱してしまいます。つまり、エンタメで集客した母集団と、ビジネスのコンバージョン(成果)につながる層には、埋めがたい深い溝があります。
「認知」の質を問う
マーケティングにおいて「認知(Awareness)」は重要ですが、どのような文脈で認知されたかがさらに重要です。
例えば、ふざけた動画で100万人に認知された企業と、専門的なノウハウ動画で1万人に「この会社はプロフェッショナルだ」と認知された企業。どちらがビジネスとして健全でしょうか。
前者は、ブランドイメージが「面白い会社」で固定されます。これは採用においては「楽しそう」というプラスに働くこともありますが、同時に「仕事が緩そう」「プロ意識が低そう」という誤解を招くリスクも孕んでいます。 後者は、再生数こそ少ないものの、視聴者の脳内には「信頼できる専門家」としてのタグ付けがなされます。
私たちが目指すべきは、単なる露出の拡大ではなく、ブランド毀損のない、高品質な認知の獲得です。視聴者の時間を「奪う」のではなく、視聴者に専門知識というギフトを「与える」。このスタンスの違いが、長期的な成果に大きな差をもたらします。
アルゴリズムの奴隷になるな
TikTok運用の現場でよく耳にするのが、「今のトレンド音源を使えば伸びる」という安易なハック思考です。確かに、プラットフォームの仕様上、トレンドに乗ることで一時的な露出増は期待できます。しかし、企業の公式アカウント運用において、これには致命的な副作用があります。
AIによるカテゴライズの重要性
TikTokのアルゴリズムは極めて優秀です。動画の内容、視聴者の反応、使われている言葉などを解析し、そのアカウントが「何のジャンル」で「誰に向けたものか」を常に学習しています。
もし貴社が、目先の再生欲しさに無関係なトレンド音源やダンス動画ばかりを投稿していたらどうなるでしょうか。AIは貴社のアカウントを「エンタメ・おもしろ系」とカテゴライズします。すると、その動画は「エンタメ好きの中高生」や「暇つぶし目的の層」のフィードに配信されるようになります。
本来のターゲットである「課題を抱えた決裁者」や「真剣にキャリアを考えている求職者」のフィードには、全く届かなくなります。AIに対して誤ったシグナルを送り続けることは、自らターゲット層へのリーチを遮断しているのと同じです。
一貫性が信頼とAI評価を作る
アカウントの評価を高めるために必要なのは、投稿内容の一貫性です。
- 誰の、どんな悩みを解決するアカウントなのか
- どのような専門性を持っているのか
これを徹底して守り続けることで、AIは「このアカウントは〇〇業界の専門情報を発信している優良アカウントだ」と認識します。その結果、再生数は派手でなくとも、本当にその情報を求めているユーザーの「おすすめ」に、正確に動画を届けてくれるようになります。
アルゴリズムに使われるのではなく、アルゴリズムに自社の属性を正しく「教育」する。これこそが、トップマーケターが実践している運用姿勢です。
「トレンド」への迎合が招くブランドの希薄化
また、トレンドへの過度な迎合は、ブランドの独自性を失わせます。どこかで見たような構成、聞き飽きた音源、皆と同じエフェクト。これでは、視聴者の記憶に「貴社」として残りません。
特にB2Bや高単価商材の場合、顧客が求めているのは「流行に敏感なこと」ではなく「実直さ」や「独自の見解」である場合がほとんどです。無理をして若者の流行に合わせようとする企業の姿は、時として「痛々しい」と受け取られ、かえってブランドイメージを低下させる要因になりかねません。
私たちは、「再生数」という麻薬のような数字に踊らされることなく、もっと本質的な指標に目を向ける必要があります。それが次章で解説する「信頼残高」という考え方です。
信頼残高(Trust Assets)の蓄積理論
ここからは、再生数に代わる新しいKPI、そして資産としての動画運用について解説します。
フロー型からストック型への転換
SNSコンテンツには「フロー型」と「ストック型」があります。 ダンスやトレンド動画は典型的な「フロー型」です。投稿した瞬間は爆発的に見られますが、一週間もすれば忘れ去られ、その価値はゼロに等しくなります。常に新しい刺激を投入し続けなければ維持できない、自転車操業のモデルです。
対して、私たちが提唱するのは「ストック型」の動画運用です。 これは、視聴者の悩みや疑問に答える解説動画、自社の技術や哲学を深く語るドキュメンタリーのようなコンテンツを指します。これらの動画は、爆発的なバズは起きにくいかもしれません。しかし、検索によって数ヶ月後、数年後にも誰かに発見され、視聴され続けます。
時間が経過しても価値が減衰しない。むしろ、アーカイブが積み上がるほどに「ここを見れば全てがわかる」という辞書のような価値を持つようになります。これが、動画を「資産(Assets)」として捉えるということです。
信頼残高という概念
動画を視聴するという行為を通じて、企業と視聴者の間には見えない取引が行われています。
企業が高品質で役立つ情報を無償で提供するとき、視聴者の心には「有益な情報を教えてもらった」という感謝の念が生まれます。心理学でいう「返報性の原理」が働き、「この会社は信頼できる」「何かあったらここに相談しよう」という心理的な貸し借りの状態、すなわち「信頼残高」が蓄積されていきます。
この信頼残高こそが、最終的なコンバージョン(問い合わせ、購入、応募)の源泉です。
例えば、あるITツールを導入しようと検討している担当者がいるとします。彼は、日頃からTikTokで流れてくる「ITトレンド解説」や「業務効率化の裏技」を投稿している貴社のアカウントを見ています。 「いつも参考になる情報をくれるあの会社なら、きっと良いツールを提供しているに違いない」 そう思うのは自然な流れです。
逆に、普段ふざけた動画ばかり上げている会社が、急に「ツールを導入しませんか?」と言ってきても、そこに信頼残高はありません。「面白いけど、仕事をお願いするのは不安だ」となってしまうのです。
参入障壁としての「専門性」
信頼残高を積み上げるには、専門知識の開示を惜しまないことが重要です。「有料級の情報を無料で出す」ことに抵抗がある方もいるかもしれません。しかし、今の時代、情報は隠すものではなく、共有することで権威性を示すものへと変化しています。
他社が真似できないほどの深さ、解像度で情報を発信すること自体が、強力な参入障壁となります。 「ここまで詳しく教えてくれる会社は他にない」 そう思わせた時点で、貴社は競合他社から頭一つ抜けた存在になります。
ダンスやトレンドは誰でも真似できますが、貴社が長年培ってきた経験やノウハウ、独自の哲学は誰にもコピーできません。それこそが、TikTokという戦場で戦うための最強の武器となります。
実践:成果からの逆算思考(Backward Design)
多くの企業アカウントが、「今日は何を撮ろうか」「どんなネタが流行っているか」という「素材ありき」の発想で企画会議を行っています。しかし、これはマーケティングの手順として順序が逆です。
成功する運用は、常にゴールからの逆算(Backward Design)で設計されています。 「最終的に視聴者にどのような行動をとってほしいのか」。その一点から逆算して、必要なコンテンツを定義していくプロセスです。
採用ブランディングにおける逆算
もし貴社のゴールが「優秀な人材の採用」であるならば、バズる動画はむしろノイズになります。100万人の不特定多数に見られるよりも、たった10人の「自社のカルチャーに深く共鳴する人材」に届くことの方が遥かに価値があるからです。
この場合、作るべき動画は「社員の仲の良さをアピールするダンス」ではありません。 求職者が本当に知りたいのは、以下のような「リアルな情報」です。
- 具体的な業務フローや、使用しているツールの詳細
- 仕事における厳しさや、乗り越えるべき壁
- 現場のリーダーが語る「求める人物像」の本音
- 入社後に得られるスキルセットとキャリアパス
例えば、「未経験でも簡単!」と謳うのではなく、「うちはこれだけ研修がハードですが、1年後にはこれだけのスキルが身につきます」と発信する。 これを見た多くの人は「厳しそうだ」と離脱するでしょう。しかし、成長意欲の高い視聴者にとっては「ここなら自分が成長できる」という強い動機づけになります。
「ミスマッチのない応募」を生み出すことこそが、採用動画の真の役割です。入社後のギャップを事前に埋めるコンテンツ(RJP:Realistic Job Preview)として機能させることで、定着率の高い採用が可能になります。
リード獲得(B2B)における逆算
ゴールが「問い合わせ」や「商談化」である場合も同様です。 決裁者や担当者が抱えている課題は何でしょうか。彼らは、商品の機能一覧を見たいのではありません。「自社の課題が解決できるイメージ」を持ちたいのです。
ここでは、徹底した「課題解決型(How-to)」のコンテンツが威力を発揮します。
- 業界特有のトラブルシューティング
- プロしか知らないコスト削減のノウハウ
- 失敗事例から学ぶリスク回避策
これらを惜しみなく公開します。「これを見れば自分でもできる」と思わせるレベルまで情報を出すことがポイントです。 逆説的ですが、情報は出せば出すほど、視聴者は「自分では大変だ、やはりプロに頼もう」という結論に至ります。その時、真っ先に想起されるのが、そのノウハウを教えてくれた貴社なのです。
動画は単なる「広告」ではなく、営業担当者が行う「初回ヒアリング」や「提案」の一部を代替するツールへと進化します。視聴者が問い合わせをしてきた時点で、すでに貴社への信頼がある程度形成されている状態(教育済みリード)を作ることが、この戦略の狙いです。
数字に現れない「信頼」を可視化する
ここまで「再生数は重要ではない」と述べてきましたが、では現場の担当者は何を指標(KPI)にして上司や経営層に報告すべきでしょうか。 ここで、評価軸の転換が必要になります。
エンゲージメントの「質」を見る
見るべきは、動画の左下に表示される再生数ではなく、その中身です。
- 保存数(Bookmarks): これは「後で見返したい」「役に立った」という意思表示です。エンタメ動画は消費されて終わりますが、有益な情報は保存されます。保存数が多い動画は、視聴者にとっての「資産」になった証拠です。アルゴリズム上も、いいね以上に重視される傾向にあります。
- コメントの具体性: 「面白い!」「www」といった短いコメントではなく、「〇〇の件で悩んでいましたが、解決策が見えました」「弊社の場合はどうなりますか?」といった、長文かつ具体的なコメントがついているか。これは、視聴者が能動的に思考し、貴社を相談相手として認識し始めているシグナルです。
- DM(ダイレクトメッセージ)の件数: B2Bや高単価商材において、コメント欄で公に相談することを躊躇する層は一定数います。再生数が数百回程度でも、裏で「詳しく話を聞きたい」というDMが届いていれば、その動画は大成功です。これを「ダークソーシャル」上のコンバージョンと呼びます。
サイレント・マジョリティ(沈黙の多数派)の存在
特にB2Bの決裁者層は、TikTokを見ていても「いいね」や「コメント」のアクションをあまり起こしません。彼らは静かに情報を収集し、静かに比較検討し、ある日突然、公式HPの問い合わせフォームから連絡をしてきます。
「TikTokを見て連絡しました」という一言が添えられていれば良いですが、多くの場合は言及されません。しかし、アクセス解析や事後アンケートを詳細に追うと、動画投稿のタイミングと指名検索の増加に相関が見られることが多々あります。
目に見える数字(再生数・いいね)だけで判断すると、この「静かなる優良顧客」を見落とすことになります。 「再生数は回っていないが、なぜか質の良い問い合わせが増えた」。これこそが、信頼残高重視の運用がもたらす理想的な状態です。
評価軸の再定義
私たちは、「100万回再生されて1件も問い合わせがない動画」よりも、「1000回再生で3件の熱い問い合わせが来る動画」を高く評価すべきです。 社内の報告会でも、単なる再生数のグラフを見せるのではなく、「どのような質のコメントが来たか」「動画をきっかけにどのような商談が生まれたか」という定性的な成果を共有してください。それが、組織全体のSNSに対する意識を変える第一歩になります。
選ばれるのは「流行を追う者」ではなく「道を照らす者」
今回の論考を通じてお伝えしたかったのは、TikTokというプラットフォームの表面的な「軽さ」に惑わされないでほしい、ということです。
確かにTikTokはエンタメから始まったメディアです。しかし、利用者の年齢層が上がり、検索エンジンとしての利用が増えている今、そこには「知りたい」「解決したい」という切実なニーズが渦巻いています。
企業が追うべきは、一過性のバズという「花火」ではありません。 視聴者の課題を照らし、進むべき方向を示す「灯台」としての役割です。
自社ブランドとの整合性を最優先に
貴社が積み上げてきたブランドの歴史、品質へのこだわり、社員のプロ意識。これらを、たかが数秒の流行のために安売りしてはいけません。 「面白ければ何でもいい」という風潮に背を向け、愚直なまでに専門性を発信し続ける。その姿勢こそが、情報過多の時代において、最も強く輝く差別化要因となります。
視聴者は見ています。 誰が流行りに乗っているだけで、誰が本当に自分たちの役に立とうとしているのかを。
「このアカウントは他とは違う」 そう認識された時、貴社のフォロワーは単なる「視聴者」から、貴社を信頼し、応援し、ビジネスパートナーとして選んでくれる「ファン」へと変わります。
これからの動画運用において、再生数という名の虚栄心(Vanity Metrics)を捨て、信頼残高(Trust Assets)という実利を積み上げていきましょう。それが、業界のトップランナーである貴社がとるべき、唯一にして王道の戦略です。





